《飛騨の里建設記》

  • 集落博物館を思いついたのは昭和四十一年。四十三年に趣意書を出し四十四年、建設が決まり、㐧一期完成までの記

昭和四十四年十一月 從來の民俗舘を拡張の必要を感じ市役所に出す。

 民俗館増設趣意書
 
 現在の飛騨民俗舘は周囲の山、髙山市街地あるいは日本アルプスの展望等誠によい環境にあります。しかし市有地民有地が入組んで取巻き土産店が多くこの点は非難の的となっています。又今後発展しようにも土地の價格が髙く、現在の民俗舘を拡張することは困難です。また観光施設の現状は金沢に江戸村、下呂に合掌村、白川村に於ても合掌部落の建設が目論まれています。また全国的に集めたものに明治村、豊中市の民家集落、川崎市の民家園など野外博物館が造られています。
 髙山としてもこれらの施設に後れをとらぬよう髙山独とくの施設を作ることが急務と思われます。それには生きた博物館として独特のカラーを持つ民俗村を作る必要があり、工芸と結びつけた、生きた動く博物館でなければなりません。
 飛騨の民俗・民具を収集保存し伝統工芸の製作工程を公開するこの民俗舘が松倉開発とともに進められ、計画通りに完成すれば、世界一と言われる民族博物館、スエーデンのスカンセン博物館に必てきするものとなり飛騨の風俗・民俗もこれに加われば東洋一といわれる民族博物館となることと思います。髙山市の発展のためにはぜひ造らねばならぬと思います。
 昨年提出した圖を御検討のうえ建設されんことを提案いたします。

(欄外追記: 四十一年につづいて四十三年にも出す)

 観光課に於て建設の準備にかかる。場所は松倉の南側、エチゴ谷十万坪を候補地にあげた。ここは交通の便は悪いが十年先を考がえると、一番いいと思う。

 一 小村家 古川町大町 一刀彫
 二 日下部家 白川村御母衣 事ム所
✕三 松井家 河合村二ツ谷
 四 道上家 宮川村東加賀沢 右上
 五 西岡家 白川村加須良 中下
 六 直井家 髙山冬頭 右下塗
✕七 前田家 河合村稲越
✕八 木下家 荘川村町屋
 九 八月一日家 荘川村三尾河 中右上
✕十 二村家 馬瀬村名丸
✕十一 清原家 小坂町湯屋
✕十二 森下家 馬瀬村下山
 十三 吉眞家 河合村角川
 十四 富田家 宮村 解体
✕十五 名節家 河合村江黒
✕十六 南家(板倉) 河合村羽根
✕十七 古島(板倉) 神岡町ヲイワレ
✕十八 古島(板倉) 〃
✕十九 水上家 河合村天生
 廿 紺谷 河合村月原 木地屋
✕廿一 西家 高根村野麦
 廿二 苅安家 丹生川村町方 染
✕廿三 藤下(セイロ倉) 丹生川村
✕廿四 下小瀬家 河合村天生
✕廿五 鈴口家(ハザ小屋) 白川村萩町
 廿六 加賀沢 白山神社 →匠神社
 廿七 保神社舞台 舞台
✕廿八 小谷(坂窯) 上宝村双六
✕廿九 小泉家 上宝村双六
 丗 大畑家 清見村 解体 住所吉直水屋冨田
 丗一 わらび小屋 朝日村西洞 池
 丗二 唐臼 荘川村三尾河 池
✕丗三 井口家 冬頭町
 丗四 西永家 久々野町 窯
✕丗五 小林家 千島町
 丗六 中藪家 宮村山下 左中
 丗七 井尻家 宮川村板戸 解体
 丗八 富田家 神岡町杉山
✕丗九 中村家 国府町
 四十 新井家 清見村池本 左下
✕四一 東屋家 白川村木谷
 四二 下方家 宮川村加賀沢 解体
✕四三 田畑家 清見村大谷
✕四四 水上(板倉) 河合村天生
 四五 前田家 上宝村神坂 中中
 四六 田口家 馬瀬村卯原

 以上の建物を見て廻る。
 この他杣小屋、木挽小屋、火の見、炭焼き小屋などを作るよう。

 民俗舘を合同し民俗舘跡は別の博物館とするよう計画したが、うな信、宗和、村山、元田、山下、等反対してならず。この人々も数年後には困ることになると思われる。

 建設の途中、田中家がもらえるようになる。国の重文になるよう手續をする。

四十五年六月、民俗村建設に決まり第一囬の会合を。これより先民俗舘の所屬を開発課に替える。

 会合は、観光、商工、土木、水道、農林、企画整調の各課に市長助役、開発課に私を加える。開発課は金を一時流用して土地の買収にかかる。土地買収には福田僚三君が主となってする。非常に困難な仕事である。

 三萬坪を買入れてから発表する。それまでは植物園を作るといっていた。

 四十六年六月から道路の工事にかかる(小糸焼の所より上)。稻刈がすんでから下の方にかかる。十一月に全部通し、民家建設の工事にかかる。

 追書 市長の命名で「飛騨の里」となる。

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